仕事と育児のどちらが大変でどちらが楽か多面的に検証!結論は…

 「仕事で疲れているのに家事や育児まで完ぺきを求められても困る!」「育児は休みもなく命を背負っているから大変!」というような、仕事と育児のどちらが大変か、という議論を耳にしたことはないでしょうか。

 もちろん仕事も育児も大変である為、どちらが大変でどちらが楽か、というような議論には何の意味もありませんが、どうしてもどちらの方が大変なのか気になってしまうこともあります。

 そこで、本記事では両者の主な主張を紹介すると共に、大変さ合戦の裏に隠れている本質的な感情について多面的に検証した結果を紹介します。

目次
  1. 仕事の方が大変だと主張する側の主な意見
    1. 肉体的な拘束時間が長い
    2. 上司や客先から理不尽な要求がある
    3. 望んでいない飲み会や接待がある
    4. 常に高いパフォーマンスを要求される
    5. 家族や社員の人生を背負う重圧がある
    6. 働き続けなければならない重圧が付きまとう
    7. 出世に応じて責任の重さが上がり続けていく
    8. 重大な決断の際には正解がない場合も多い
    9. 職務レベルが上がるにつれて孤独感が強くなる
  2. 育児の方が大変だと主張する側の主な意見
    1. 休みがなく365日働かなければいけない
    2. 理屈が通じない相手との会話が多い
    3. 自分の自由時間をまとまって確保できない
    4. やってて当たり前で誰も褒めてくれない
    5. 子どもの命を背負う重圧がある
    6. 子どもの将来を背負う重圧がある
    7. 成長に合わせて接し方を考え続けなければいけない
    8. 正解がなく常に不安が付きまとう
    9. 閉鎖的な人間関係で孤独感がある
  3. 大変さを測る主な指標
    1. 拘束時間の長さ
    2. 責任の重さ
    3. ストレス発散のしやすさ
    4. 欲求の満たしやすさ
    5. 負荷や時間調整のしやすさ
    6. 相談や情報収集のしやすさ
  4. 大変さの感じ方を左右する主な要因
    1. 環境への適応が得意か苦手か
    2. 価値観と行動が適合しているか否か
    3. ストレス耐性が育まれているか
    4. 明確な目標や目的があるか否か
    5. 自身の環境を客観的に分析できるか否か
    6. 能動的な学びを得る力が育まれているか否か
  5. 大変さを主張する"理由"に焦点をあててみる
    1. 自分に対する理解・共有を求めている
    2. 役割分担を改めたいと考えている
    3. 自身の正当性や自尊心を維持したい
  6. 大変さを主張するだけでは何も解決しない

1.仕事の方が大変だと主張する側の主な意見

 まずは、仕事の方が大変だと主張する側の主な意見を紹介します。

 なお、後述にて詳しく分析していますが、業務内容等によって大変さの感じ方は異なる為、一概に全てが当てはまるわけではないことをご留意頂けると幸いです。

1-1.肉体的な拘束時間が長い

 まずはじめに、仕事では肉体的な拘束時間が長い、ということが挙げられています。

 諸外国に比べて、日本は残業時間が非常に長いことが知られており、毎日12時間以上、仕事に拘束されることも少なくありません。むしろ業種や会社、勤務場所によっては、12時間というのは短い方かもしれません。

 仕事が中心となっている方の中には、「7時出勤開始~22時帰宅(15時間拘束)というような過酷な勤務状態が慢性化している」「休憩時間がほとんど無く、朝から晩まで働かされている」といった方もいるでしょう。

 また、同じ拘束時間内であっても、事務的な仕事を中心にPC作業をしている場合もあれば、工事現場員のように、砂埃や騒音の中で常時肉体労働をしている場合もあります。

 肉体労働であれば物理的な負担は大きく、場合によっては振動障害や難聴といったリスクも抱えています(健康診断あり)。

 同様に事務的なPC作業が多い場合においても、眼精疲労や精神症状を引き起こす可能性があり、一定のリスクを抱えています(健康診断あり)。

 フレックスタイム制や在宅勤務などの制度が導入されたことで、肉体的な拘束時間は緩和されつつありますが、「○時~〇時まで」を強制的に拘束されるという点では、一定の大変さを持っていることが分かります。

  • 【肉体的な拘束時間の大変さを主張する例】
  • ・「毎日朝7時から夜22時まで働いて休む時間がない」
  • ・「休憩時間もなく朝から晩まで働かされている」
  • ・「平日はほぼ仕事で休日まで家事や育児をしていては休む時間がない」

1-2.上司や客先から理不尽な要求がある

 また、あまり好ましくない上司や客先が周りにいる場合、理不尽な要求を受ける場合もあります。

 退勤直前に、上司から「今日中に終わらせて」といった理不尽な業務要求があることもあれば、客先から無理難題を怒鳴りつけられるようなこともあるでしょう。

 その上司や客先が重要な人物である場合は、適当にあしらうこともできず、仕方なく受け入れるしかない、といったこともあるかもしれません。

 納得できなくても従わなければならないことも多く、思った以上に自分の采配で業務を進められないこともあるでしょう。

 「業務調整能力が不足している」「無視すればいい」といった指摘はあるかもしれませんが、それらを解消しても解決できないほど理不尽な相手が存在していることも事実です。

 例えば、モンスターペアレントやクレーマーに目を付けられてしまうと、適当な評判をばらまかれてしまう可能性もあり、適当にあしらえないことも少なくありません。

 この大変さは、上司や職種といった職場環境によって大きく異なっている為、その環境に置かれている人しか分からない大変さとも言えるかもしれません。

  • 【上司や客先からの理不尽な要求を主張する例】
  • ・「上司や客先に振り回されて自分の業務が進まない」
  • ・「納得できなくても従わなければならない絶対的な命令もある」
  • ・「理不尽な要求にも笑顔で答えなければいけない場面がある」

1-3.望んでいない飲み会や接待がある

 また、世の中では「飲み会でストレス発散できるんだからいいでしょう」といった声もありますが、会社の飲み会は楽しいことばかりではありません。

 上司や客先によっては、「要求に合うお店を探す」「常にコップの中に気を配る」「楽しくない会話でも楽しそうに聞く」等、気が休まる瞬間はありません。

 例えお酒が好きな方であっても、気楽にお酒を楽しむことができず、全くストレス発散にならないことも考えられます。

 家で子どもに振り回されながらもテレビを見ながら晩酌できた方が、よっぽどストレス発散になると考えている方も少なくないかもしれません。

 近年では、こういった飲み会や接待を嫌う方が増えており、「仕事よりも仕事後の飲み会の方がつらい」という方もいるほどです。

 望んでいない飲み会や接待は、給料がもらえない上に、ストレス発散にもならない、大変なことのひとつだと言えそうです。

  • 【望んでいない飲み会や接待の大変さを主張する例】
  • ・「全くストレス発散にならない飲み会があり、実質的な拘束時間が長い」
  • ・「飲み会を好む客先につかまると、終わりの時間が見えない」
  • ・「飲み会を断っただけで明らかに態度が悪くなる客先もある」

1-4.常に高いパフォーマンスを要求される

 また、世の中では「仕事は自分で休む時間を作れるからいいでしょう」といった声もありますが、職場によっては休憩時間を一切取れないこともあります。

 常に最大限のパフォーマンスを発揮することが求められますし、業務に慣れて余裕が出てきた頃には新たな業務や責任を持たされることも少なくありません。

 パートやアルバイトであれば、少々手を抜いて問題を起こしても辞めてしまえば終わりですが、正社員の場合はその会社を背負っている以上、適当な仕事をするわけにはいきません。

 「そんなこと言っても手を抜けるでしょう」という方もいるかもしれませんが、本来は手を抜かずに高いパフォーマンスを発揮することが望ましいものです。

 本当に重大な責任を背負っている場合には、休憩時間や帰宅後にも仕事のことが頭から離れず、1日中寝ても覚めても仕事をしているような感覚になることもあります。

 望まれている高いパフォーマンス要求をベースに考えれば、心が休まる時間もなく、仕事の大変な部分であると言えそうです。

  • 【パフォーマンス追求の大変さを主張する例】
  • ・「小さなミスが大きな影響に繋がる可能性があり、手を抜けない」
  • ・「自分のことなら手を抜けても、会社のことは手を抜きにくい」
  • ・「勤務中ずっと高いパフォーマンスを発揮することは、本当に大変」

1-5.家族や社員の人生を背負う重圧がある

 また、子育てをする方の中には「育児は命を背負っている」という方もいますが、実際には仕事でも多くの人の命を背負っています。

 一見すれば、命を背負っていないように見える仕事でも、誰かの命に関わっていないような仕事はほとんどありません。

 例えば、道路の警備員や飲食店、普通のサラリーマンでも誰かの命や人生を背負っています。

 飲食店であれば、自分の不注意で誰かの食中毒を引き起こしてしまった場合、その人の命に関わるだけでなく、イメージの悪化による店舗そのものの廃業もありえます。

 普通のサラリーマンであっても、自分のパフォーマンスを下げたことで誰かにその負荷が掛かり、その誰かが過労で倒れることもあり得るかもしれません。

 自分の仕事のパフォーマンスが下がることで、想像もしていない関係者に迷惑がかかり、その人の人生を左右しているようなことがあります。

 そもそも多くの仕事は、誰かの命に関わるものであり、誰かの人生を背負っていないような仕事はほとんどないのです。

 自身の仕事に対する責任感を持っていれば持っているほど、この大変さ(重圧)を感じやすいと考えられます。

  • 【家族や社員の人生を背負う大変さを主張する例】
  • ・「仕事でも誰かの人生や命を背負うことはある」
  • ・「手の届かない場所で誰かの人生を奪う可能性もある分、緊張感が高い」
  • ・「自分だけでなく会社全体の人生を左右することもある」

1-6.働き続けなければならない重圧が付きまとう

 また、家族で唯一の稼得責任(お金を稼ぐ責任)を有している場合は、何があっても働き続けなければならない、という重圧が付きまとうことになります。

 職場で耐え難いことがあっても、「辞めたら次の職場が見つからないかも」「転職できても給料が下がってしまうかも」といった不安もあり、その場から逃げ出すことは難しいものです。

 職場の同僚や上司が嫌であれば、転職してしまうことで解決する場合もありますが、その職務そのものが嫌な場合は、転職したところで解決しないこともあります。

 かといって未経験の職種に転職すれば、一時的な給料の低下は避けられず、八方ふさがりの状態で働き続けなければならない重圧が付きまとうのです。

 実際に、世の中ではこういった働き続ける重圧に耐えきれず、自ら命を絶ってしまう方もいることを考えれば、その大変さは計り知れないものだと分かります。

  • 【働き続ける重圧の大変さを主張する例】
  • ・「お金を稼ぐ責任がある以上、辞めたくても辞められない」
  • ・「逃げ出せない不安や仕事が無くなってしまう不安に追いつめられる」
  • ・「働き続ける重圧の中で家事育児の重圧まで背負いきれない」

1-7.出世に応じて責任の重さが上がり続けていく

 また、仕事では出世に応じて責任の重さが上がり続けていくことも少なくありません。

 担当者の頃は、自分の持つ業務の責任だけですが、係長、課長、部長と出世していくにつれて、背負う責任が増加していきます。

 例え係長クラスであっても、数人の従業員の人生と、係の運命を担っており、大きなプレッシャーを感じるものです。

 自らが持つ実力よりも"少し上"の職務を与えられる場合も多く、自らの実力不足を常に感じながら乗り越えていかなければならない為、精神的にも肉体的にも大変です。

 責任範囲が自分や家族だけでも大変にもかかわらず、より大きな責任を背負う仕事は、本当に大変であることが分かります。

  • 【責任の重さの大変さを主張する例】
  • ・「覚えた頃には新たな職務を与えられる為、常に成長し続けなければならない」
  • ・「部下や職場の人生を左右する責任を持つと、その大変さが分かる」
  • ・「部下は何人もいるが、部下にとっての上司は私一人である」

1-8.重大な決断の際には正解がない場合も多い

 また、「仕事には正解がある」という声もありますが、重大な決断の多くは正解が無いことも少なくありません。

 そもそも正解のあるような業務は、既に誰かが答えを知っていて、それを単純にこなすだけの業務でしかありません。

 そういった業務は、技能さえ習得してしまえば誰にでもできる為、今後AIや機械に奪われていくでしょう。

 仕事で本来求められているのは、「誰も答えを知らない先進的な取り組み(課題解決)」であり、そういった取り組みの多くは正解がありません。

 自ら正解を設定し、その正解に突き進むための課題を見つけ、ひとつひとつ検証しながら、軌道修正して進めていくものです。

 イメージして分かりやすいのは、政治家の仕事かもしれません。コロナウイルスの緊急事態宣言を例に挙げても、「今あるデータでは、この道が正しそうだ」という仮説を基に突き進むしかなく、正解なんてものは分かりません。

 そういった答えのない業務に向き合っている場合は、大きな不安と共に突き進むことになり、本当に大変なのです。

  • 【正解がない大変さを主張する例】
  • ・「仕事に正解があるのは、先進的な取り組みをしていないから言えること」
  • ・「仕事の中にも正解が分からないことはいくらでもある」
  • ・「予算や人員の問題から既知の正解を選択できず、別の正解を探す場面もある」

1-9.職務レベルが上がるにつれて孤独感が強くなる

 また、仕事では一緒に働いてくれる同僚がいる、と勘違いされがちですが、職務レベルが上がるにつれて孤独感は高まっていくものです。

 「社長はいつでも孤独」という言葉があるように、その職務レベルに到達しなければ分からない悩みや苦労があるものです。

 これは社長に限らず、専門性の高い職務や管理職でも同じことが言えます。

 非常に専門性が高い職務になってくると、上司や同僚でも理解しきれないことも多く、全て理解できているのは自分だけ、ということもあり得るでしょう。

 そういった中で課題解決をしていかなければいけないプレッシャーが孤独感となり、「自分が居なくなったら…」「誰にも相談できない…」といった不安を生み出すことになります。

 そもそも全て二人体制で業務を進められることは少なく、どのような業務であっても、何らかの孤独感を感じるものだと考えられます。

  • 【孤独感の大変さを主張する例】
  • ・「自分しか理解できない専門的な業務があり、誰にも相談することができない」
  • ・「管理職になると部下には相談できない悩みもあり、孤独感を感じやすい」
  • ・「誰にでも相談できて仲良く仕事ができるような職場ばかりではない」

2.育児の方が大変だと主張する側の主な意見

 ここまで仕事の大変さを紹介してきましたが、もちろん育児にも同じような大変さがあります。

 大変さの主張ばかりで少し疲れてきたかもしれませんが、引き続き「育児の大変さ」について見ていきましょう。

2-1.休みがなく365日働かなければいけない

 育児の大変さで一番主張されることが多いのは、「休みがなく365日働かなければいけない」ということでしょう。

 もちろん本当に365日24時間働いているわけではありませんが、「新生児の2時間に1回の授乳」や「目を離せない」という点から、このような表現をされていることが少なくありません。

 朝から晩まで子どもの状態を確認しながら、授乳や離乳食、健康に関わる情報収集といったことをしなければならず、確かに気が休まる時間はほとんどありません。

 一度経験してしまえば、それほど肉体的な拘束は長くないかもしれませんが、初めての育児では、ひとつひとつの行動に時間がかかります。

 「これであっているのか」といった不安を解消する為の情報収集等も含めると、本当に1日中子どものことを考えていることも多いものです。

 平日や休日の概念が無い為、気が休まる時間もなく、肉体的にも精神的にも育児の大変な部分だと言えるでしょう。

  • 【休みが無い大変さを主張する例】
  • ・「朝から晩まで平日も休日もなく育児をしなければならない」
  • ・「目を離すことができず、気を休める暇がほとんどない
  • ・「睡眠時間まで削られて疲れがほとんど取れない」

2-2.理屈が通じない相手との会話が多い

 また、どちらか一方のみで育児を行っている場合、家庭内は「大人1人+子ども」だけとなり、日常的な会話はほとんど楽しめなくなります。

 乳児の頃はまともに話すことすらできませんし、幼児になっても理屈はほとんど通じません。

 子どもの会話に合わせることが中心となり、会話を素直に楽しむということは難しいものです。

 嫌なことがあっても楽しいことがあっても、誰にも共有することができず、心が閉鎖的になる一方です。

 理屈の通じない子どもは、「ダメ!」と指摘してもしつこくやり続けてくることも少なくありません。

 強く怒ってしまえば、怒ってしまった罪悪感に苦しめられ、強く怒らなければ話が通じない、という葛藤に苦しめられるのです。

  • 【会話が成り立たない大変さを主張する例】
  • ・「喜怒哀楽の感情を誰かと共有することすらできない」
  • ・「話が通じないから振り回されて、自分のことがほとんどできない」
  • ・「子どもの影響を考えると無視や激怒もできないからつらい」

2-3.自分の自由時間をまとまって確保できない

 また、自分の自由時間をまとまって確保できない、という大変さもあります。

 仕事は、比較的にオンオフがはっきりしている為、帰宅後や休日にまとまった自由時間を確保できますが、育児にオンオフはなく、まとまった自由時間を確保することができません。

 細切れの自由時間を足し合わせれば、十分な時間は確保できるかもしれませんが、まとまった時間が必要な趣味(集中が必要なものや準備に時間がかかるもの、等)は制限されることになります。

 育児には「この時間は休んでもいい時間だよ」「平日の〇時は大体自由だよ」という決まりもない為、まとまった自由時間で何かを済ませることも難しいものです。

 まとまった自由時間が偶然できたとしても、子どもの情報収集や保育園の準備をしなければならず、なかなか自分の時間を過ごすことはできません。

 決まった時間に決まった自由時間を持ちにくく、ストレス発散がしにくい点は、育児の大変な部分だと言えるでしょう。

  • 【自分の自由時間を確保できない大変さを主張する例】
  • ・「オンオフが無く気持ちの切り替えが難しい(気が休まらない)」
  • ・「決まった時間にまとまった自由時間を確保できず、趣味が制限される」
  • ・「土日に趣味の時間を確保できる仕事の方がよっぽどマシ」

2-4.やってて当たり前で誰も褒めてくれない

 また、家事や育児は誰もが必ずやっているものである為、「やってて当たり前」と見られ、褒めてくれる人はほとんどいません。

 褒められないだけであればまだしも、家事や育児だけをしている人に対して「家事や育児だけでいいね」「ずっと家にいられるからいいね」というような見方をする人もいます。

 大変ではあるものの「その大変さは乗り越えて当たり前だよ」と考えている人が多く、大変さを尊重してくれる人がほとんどいません。

 近年では、育児の大変さが世の中に発信される機会が増えてきた為、少しずつ改善傾向にあるものの、まだまだ「家事と育児だけは怠慢」という見方をする人がいることも事実です。

 「当たり前のことを当たり前にこなす」ということは、本当に難しく大変なことですが、その自分の努力や苦労を理解してもらえないことに葛藤を感じることもあるでしょう。

  • 【誰も認めてくれない大変さを主張する例】
  • ・「育児はやってて当たり前で、誰も尊重してくれないし達成感もあまりない」
  • ・「育児は給料も出ないし、成果を振り返る余裕がなくてやりがいも実感しにくい」
  • ・「育児をやってて当たり前なら仕事もやってて当たり前。思いやりの問題」

2-5.子どもの命を背負う重圧がある

 また、育児にはたった一人で子どもの命を背負うという重圧もあります。

 仕事はチームで進められることが多いのに対して、何故か育児は"たった一人"で進められることが多いものです。

 「ミルクを吐き出して喉に詰まる」「誤飲による窒息」「転倒や落下」「紐の引っ掛かり」等、日常の中には赤ちゃんの命を脅かす要素が数多くあります。

 それらの危険を察知して、未然に防ぐ責任があり、大きなプレッシャーとしてのしかかります。

 睡眠不足による疲労感もある中で、常に命を背負う責任を背負っている為、精神的な負担は大きく、本当に大変な部分だと言えます。

 仕事であれば、会社の仕組みや体制のせいにしてしまうこともできますが、家庭では自分一人に責任がのしかかる為、逃げ場のない状態でもあります。

  • 【命を背負う重圧の大変さを主張する例】
  • ・「たった一人で子どもの命を背負う重圧は何よりも心の負担になる」
  • ・「慣れない初心者が命という重大な責任を背負うことは育児くらいしかない」
  • ・「病気やケガ等、赤ちゃんには情報収集しきれないくらい多くのリスクがある」

2-6.子どもの将来を背負う重圧がある

 また、子どもの命を背負うだけでなく、自分の接し方ひとつで、子どもの人格形成や価値観に影響を与える可能性もあります。

 「ついつい怒鳴ってしまう」「テレビやスマホに頼ってしまう」「音楽を聴いて少しだけ無視してしまう」といったことは良くある事例ですが、どれも子どもの将来に影響を与えてしまうといった指摘もあります。

 実際には、短期的にそういったことをしたくらいでは、大きな影響はないかもしれませんが、自分の行動が与えてしまう悪影響が気になってしまうものです。

 特に、自分の嫌な部分(怒り方、等)に似てくると、「自分の行動が思った以上に反映されている」ということを実感し、罪悪感や背徳感に襲われることもあるでしょう。

 子どもへの影響を考え、自分の行動や言動を制御する場面も多くなり、大きな負担となる部分でもあります。

 自分を律することは、本人にとっても良いことではあるものの、うまくできないことをやり続ける負担は大きいものです。可視化されにくい育児の大変さの一つだと言えそうです。

  • 【子供の将来を背負う大変さを主張する例】
  • ・「自分の行動まで律することが多くなり、ストレス発散がうまくできない」
  • ・「怒ってしまった罪悪感や背徳感に苦しめられることも多い」
  • ・「子どもの将来に与える影響が不安で、気が休まらない」

2-7.成長に合わせて接し方を考え続けなければいけない

 また、育児は「子どものお世話をするだけ」「慣れてしまえばルーティン化できる」と勘違いされがちですが、実際には成長に合わせて接し方も変化していくものです。

 0歳児は一方的にお世話をするだけですが、1~2歳頃になれば、徐々に自我が芽生え、自分の意思を通そうとする場面も多くなります。

 2歳半~4歳頃には他者の意思の存在にも気づき始め、子どもの心境はより複雑なものとなっていきます。

 こういった成長のステージに合わせて、対応や接し方は変わっていくことから、ルーティン化した単調作業ではうまくいかないものです。

 想像以上に、子どもの成長の速さに振り回され、常に自分自身の成長や変化も求められるものです。

 「育児は慣れたら終わり」「仕事は常に職務レベルが上がる」と言われることもありますが、実際には育児もステージに合わせて、育児レベルを上げていくことが要求されるのです。

  • 【成長に合わせた変化の大変さを主張する例】
  • ・「知恵の付いた子どもは一筋縄の対応ではうまくいかないことも多い」
  • ・「授乳から始まり、離乳食、保育園、イヤイヤ期と目まぐるしい変化がある」
  • ・「子どもの個性もあり接し方は試行錯誤して見つけていかなければならない」

2-8.正解がなく常に不安が付きまとう

 そういった育児ステージの変化に合わせて対応していく中で、「子育てには正解がない」ということが良く指摘されます。

 前述したような自我の芽生えや思春期といった一定の正解はあるものの、個人差や個性もあり、万人に正解だと言えるわけではありません。

 「楽しく褒めればイヤイヤ言わないよ」「競争すれば片付けるようになるよ」等と、万人の答えのように語る方もいますが、それはあくまでその家庭内の正解でしかない場合がほとんどです。

 多くの試行錯誤を繰り返す中で、自分の家庭にあった答えを見つけださなければならず、どの家庭においても、失敗と成功の繰り返しが必要なのです。

 さらに、「その時点では正解」と思えたことが、将来の子どもに対して悪影響を及ぼす可能性もあり、簡単に正解と判断することはできません。

 常に正解かどうか分からない不安を抱えながら試行錯誤を繰り返す育児は、達成感を得にくく、精神的な負担に繋がっていると言えるでしょう。

  • 【正解の無さの大変さを主張する例】
  • ・「育児に正解は無く、常に自分で正解を探さなければいけない」
  • ・「正解かどうかは、将来にしか分からず、不安が解消されない」
  • ・「不安を抱える中でも突き進むしかない育児は本当に大変」

2-9.閉鎖的な人間関係で孤独感がある

 また、育児では人間関係が閉鎖的になりやすく、親子が孤立してしまう事例も少なくありません。

 仕事をしていなければ社会に所属している実感も得にくく、「誰にも相談できない」「誰も私たちを見ていない」「誰も助けてくれない」というような孤立感を感じることもあるかもしれません。

 実際に、厚生労働省の調査の中でも「孤立感」は大きく取り上げられており、政策による支援も数多く行われています。

 それでもやはり自分一人で育てているような感覚は抜けにくく、強い孤独感を感じやすいものです。

 出産するまで、同僚や友人との関わりがあった方でも、産後直後にはほとんどの関わりが絶たれてしまうことになります。

 保育園や幼稚園への入園によって、少しずつ孤独感は解消していくものの、負担の大きな時期と重なりやすく、育児の大変さをより強く感じさせる要因になっていると言えそうです。

  • 【孤独感の大変さを主張する例】
  • ・「自分一人で全て背負っているという孤独感は本当につらい」
  • ・「逃げ場のない閉鎖的な感覚に陥ると自分では立ち直れない」
  • ・「産後うつになっていても誰も助けてくれないように感じる」

3.大変さを測る主な指標

 さて、ここまで仕事と育児の大変さを紹介してきましたが、どちらの方が大変だと感じたでしょうか。

 「どちらも大変そうだな」と感じることもあれば、「やっぱり仕事の方が大変」「いやいや育児の方が大変」と感じている方もいるでしょう。

 そこで、これまで紹介してきたお互いの主張を基に、「大変さ」ということを主張するうえで大切にしている「指標」について考えてみたいと思います。

3-1.拘束時間の長さ

 まずはじめに、仕事と育児の両者で取り上げられている「拘束時間の長さ」があります。

 但し、同じ拘束時間と言っても、仕事では「物理的な肉体の拘束時間」が主張されているのに対して、育児では「精神的な拘束時間」が主張されていることが多いようです。

 「肉体的な拘束は、頭が解放されているから負担は小さい」と考える方もいれば、「精神的な拘束は、自分の考え方次第で解決できる」と考える方もいるでしょう。

 拘束時間によるストレスの感じ方はさておき、時間は誰にでも平等なものである為、「拘束時間の長さ」は大変さを測る一つの指標として使えそうです。

3-2.責任の重さ

 また、「責任の重さ」ということも仕事と育児の両者の主張の中で取り上げられています。

 仕事によっては命や人生への関わりが分かりにくい場合もあり、育児に比べて責任が軽いように見られがちです。

 「仕事は何かあっても辞めてしまえばいい」と表現されることも多いものですが、本来の仕事は「社会への貢献」であり、遠かれ近かれ誰かの人生や命を背負っていることも少なくありません。

 大切な一軒家を建てる住宅メーカーの担当者が、「最悪は辞めればいいから適当でいいや」という対応をしていたら嫌だと感じるのと同じように、様々な仕事が自分の知らないところで誰かの人生に関わっているものです。

 それに対して、育児は命への関わりが直感的に分かりやすく、誰にとっても平等に一定の責任(子どもの命)があります。

 仕事の内容や本人の姿勢によって、この「責任の重さ」の感じ方は異なる為、一概に業種や職種だけで決めることはできませんが、大変さを測る一つの指標としては使えそうです。

3-3.ストレス発散のしやすさ

 また、「疲れても飲み会で発散できるからいいよね」「子どもが遊んだり寝ている時は自由でいいよね」といった「ストレス発散のしやすさ」に対する主張も多く見られます。

 こちらも状況によって大きく異なり、飲み会=ストレス発散となる人もいれば、飲み会=ストレス蓄積となる人もいます。

 近年では、こういった交流の場を"無駄な時間"と感じる若者も増加しており、一概にストレス発散ができているとは言えません。

 また、育児の合間に自由な時間があると言っても、数分~十数分の細切れの時間であったり、何か家事をしている際に子どもが寝ていたり、といったことも少なくありません。

 数分~十数分の細切れの時間でストレス発散ができるような方であれば、ストレス発散できるかもしれませんが、現実的には、子どもが寝ていないとやりにくい家事(書類整理や縫い物など)を済ませていることも多いでしょう。

 「まとまった時間を子どもから離れられるだけマシ」と感じる方もいれば、「細切れでも自分で調整できる時間があるだけマシ」と感じる方もいる為、同じ環境でも大変さの感じ方は異なることが分かります。

 お互いのストレス発散能力に依存する指標ではあるものの、「ストレス発散のしやすさ」は大変さの指標として使えそうです。

3-4.欲求の満たしやすさ

 また、意外と気付かれていないことも多いですが、マズローの欲求5段階の満たしやすさも主張されていることがあります。

 良く育児では、「睡眠不足で第一段階すら満たされない」「身体の疲れで第二段階も満たされない」「育休中は社会から隔離されて第三段階も満たされない」「やってて当たり前で第四段階も満たされない」「育児に専念せざるを得ず第五段階も満たされない」といったことが指摘されます。

 確かに新生児~0歳児の間は、睡眠時間が削られ、慣れないことも続く為、非常にこれらの欲求が満たされにくいことが考えられます。

 では一概に仕事の方が満たされやすいか、と言えば、もちろんそうでもない場合もあります。

 上司にこき使われて「昼食や夕食はおにぎりを詰め込むだけ」「6時出社~1時帰宅は当たり前」「自分の意見は全て潰されるだけ」というブラック企業も実際に存在しています。

 常識の範囲内で働くことができる会社に勤めている場合は、仕事の方がマズローの欲求5段階は満たしやすいかもしれませんが、"仕事<育児"と一括りには言えないでしょう。

 なお、注意しなければいけないのは、マズローの欲求5段階は、あくまで「第一段階が満たされることで第二段階の欲求が初めて生まれる」という意味のものであるということです。

 「第五段階の欲求を持っていれば偉い、大変ではない」と言う意味ではない為、「欲求段階が低い方が大変だ」ということではないのです。

 そういう意味では大変さを測る指標としてはふさわしくないかもしれませんが、家族で同じ段階に所属できているかを確認する上では大切な指標だと考えられます。

3-5.負荷や時間調整のしやすさ

 また、自分が持っている負荷や時間を調整しやすいかどうか、ということもたびたび取り上げられます。

 これは前述したマズローの欲求第五段階目(自己実現)を意味している場合もあれば、「自分の努力次第で時間を確保できる」という意味である場合もあります。

 実際には、仕事でも育児でも不測の事態は一定数起きるものであり、自分だけで時間調整できるわけではありません。

 個人的には、慣れてくれば仕事も育児も自分のさじ加減で調整できると考えられる為、こちらは職場や家庭の事情によってその大変さは異なるでしょう。

 全体的には、「主体性を持って仕事を取り組めている人」や「事前に予測して育児に向き合えている人」は、時間調整が得意な傾向がありそうです。

 仕事や育児に向き合っている方の能力によっても大変さの感じ方は異なる為、大変さの指標として使うことは難しいですが、比較しながら向き合い方を改善していく為には有効な指標だと言えそうです。

3-6.相談や情報収集のしやすさ

 また、「周囲への相談や情報収集のしやすさ」も大変さの指標として挙げられます。

 どちらかと言えば、育児よりも仕事の方が相談先が多い、意思決定をチーム全体で行う分だけ気楽、と表現されることが多くなっています。

 育児にも保健所や病院、#8000(子ども医療相談)、友人、祖父母といった相談先はあるものの、上司と部下のような責任関係がない為、気楽には相談しにくいものです。

 そういった背景から、相談相手が少なく、自分で意思決定しなければいけない育児は、精神的な負担が大きいと言われることもあります。

 実際には、仕事においても何でもかんでも相談していると、「自分で考えろ」と言われてしまうこともあるかもしれません。

 業務の専門性や組織体制によっては、ほとんど相談相手がいない場合もあります。むしろ適切な相談相手を確保する必要があれば、その相談相手を社外含めて確保しておくことまで、仕事の一つだと捉えられていることもあるでしょう。

 つまり、仕事でも育児でも、自ら「相談相手の確保」という課題を適切に解決しているかどうかによって、その問題の深刻さは異なると言えそうです。

 但し、「利害関係の無い公共機関を利用する方が気楽」と考える方もいれば、「責任関係のある上司や同僚に相談する方が気楽」と考える方もいる為、一概にどちらが大変かは言えないかもしれません。

4.大変さの感じ方を左右する主な要因

 これまでの大変さの指標を確認してみると、「大変さの感じ方を左右する要因」が少しずつ見えてきます。

 結局のところ、仕事と育児のどちらが大変かということは、「当事者の価値観や性格によって異なる」ということになりますが、それをもう少しだけ深堀りし、どういった価値観や性格を持っている方が、大変さを感じやすい傾向にあるか、ということを紹介していきます。

4-1.環境への適応が得意か苦手か

 まずはじめに、置かれた環境への適応が得意か苦手か、ということが、大変さの感じ方を左右する重大な要因です。

 自分は「これから育児に専念する」「いま与えられた環境に全力で向き合う」といった気持ちの切り替えができていないと、「なんで私ばっかり…」「こんな仕事はしたくないのに…」といった不満ばかり抱えることになってしまいます。

 環境適応能力は、生物が生き残るうえで非常に重要な要素とされていることからも分かるように、ストレスを感じずに生きていくうえでも欠かせない要素だと言えます。

 2012年に出版され大ベストセラーとなった『置かれた場所で咲きなさい(著:渡辺和子)』には、賛否両論がありますが、環境への適応という点では、非常に大切な考え方の一つだと言えるでしょう。

4-2.価値観と行動が適合しているか否か

 また、自分自身が持っている価値観と実際の行動が一致しているか、ということも重要な要素となります。

 本来の『置かれた場所で咲きなさい』とは、今できることに真摯に向き合うことが将来に繋がる、という意味だと考えられますが、端的に「自分の願望を潰す」とネガティブに捉えられる場合もあります。

 これまでの人生で築き上げてきた価値観を抑え込んで、現実に向き合うことがストレスになってしまうことは誰にでもあり、どうしても納得できない場合もあります。

 例えば、「研究者として活躍したかったにも関わらず、育児制度の利用でその道が閉ざされた」「医薬開発がしたかったにも関わらず、営業に異動させられた」といったことが考えられます。

 「育児制度の利用で本当に閉ざされるのか」「営業から開発に戻ることは不可能か」といった検証は必要なものの、遠回りを余儀なくされた環境はストレスを感じやすいものです。

 このように、価値観と行動(理想と現実)が異なっている場合、将来への不安や焦りから、強く大変さを感じる傾向があると考えられます。

 余談になりますが、この理想と現実の差に嘆いたところで何も解決しない為、今置かれた環境でベストを尽くしながら解決するしかないのが現実です。

4-3.ストレス耐性が育まれているか

 また、ストレス耐性が十分に育まれているか、ということも重要な要素となります。

 ストレス耐性には、主に「ストレス発散能力」と「ストレス抑止能力」のふたつがあります。

 「ストレス抑止能力」とは、同じストレス要因に対してどれくらいストレスを感じやすいか、というものです。例えば、「育児の全てがストレスだ」「上司が嫌いでストレスだ」と考えてしまう方は、ストレス分析が苦手で、ストレス抑止能力が低いと考えられます。

 さらに言えば、「無条件に泣く赤ちゃんがストレスだ」「理不尽な要求をする上司がストレスだ」という方も、まだまだストレス抑止能力が低い可能性があります。

 ストレス抑止能力が高い方は、自分や相手の環境を客観視することが得意であり、「赤ちゃんは泣くことで生命を維持している」「理不尽な要求は上司の実力不足や癖に起因している(自分に頼っている)」というような受け取り方をすることができます。

 さらに言えば、「自分の時間を邪魔されるとストレスを感じやすい」「正義感が強くて理不尽なことにストレスを感じやすい」といった、自分のストレスの特徴を把握することができ、未然に対策を取ることもできます。

 また、「ストレス発散能力」は言葉の通り、受けたストレスをどれくらい発散できるか、というものです。

 なお、ストレスを発散する方法をいくつも持っている(深呼吸する、読書をする等)方は、比較的にストレス発散能力が高いと考えられがちですが、ストレスを発散する方法に偏りがある(アウトドア系ばかり、長時間作業ばかり等)場合は、うまくストレスを発散できない場面もあり、注意が必要です。

 いずれにしても、「ストレス抑止能力」と「ストレス発散能力」がバランスよく育まれている方は、仕事や育児の大変さをうまく分析・発散することができる為、大変さを感じにくい傾向があるでしょう。

4-4.明確な目標や目的があるか否か

 また、自分が何のために仕事や育児をしているのか、明確な目標や目的がある方は、大変さを感じにくい傾向があると考えられます。

 「課長になって組織の働き方を変えたい」「育児と仕事を両立するママ(パパ)になりたい」といった目標があれば、その過程にある苦労も受け入れやすいものです。

 特に目標や目的もなく、何となく今を過ごしていると、「何のために苦労しているのか」と苦労を感じやすく、ストレスが溜まりやすくなります。

 目標や目的はいくつあっても構わない為、少なくとも「家族の目標」と「自分の目標」は明確にしておくと良いかもしれません。

 目標を忘れてしまいやすい方は、目標を大きく書いた紙をトイレや廊下といった目に入りやすい場所に貼っておくことも有効でしょう。

4-5.自身の環境を客観的に分析できるか否か

 また、自分が置かれている環境を客観的に分析できる方は、大変さを感じにくい傾向があります。

 そもそも世の中には、仕事も育児も一人で全てこなしている方もいれば、仕事も育児もお金に任せて遊んでいる方もいます。

 もっと言えば、まともに生きていくことすらままならない国で生きる方もいれば、リゾート地で遊んでいるだけで生きていける方もいます。

 過酷な環境で暮らしている方と比較すれば、「仕事だけに専念できているなら全然いい」「育児だけに専念できるなんて羨ましい」と考えることもできます。

 自分がいま求めている欲求は、「最低限は満たさなければならない基準」なのか「より良くしたい基準」なのか、客観的に分析してみることが必要です。

 日本で生活している以上、客観的に分析してしまえば、ほとんどのことが「より良くしたい基準」でしかないのかもしれません。

 より良い幸せを望むせいで、今の幸せに気付かない方も少なくありません。大変さを強く感じている方は、自分の周囲だけでなく、世界基準で客観視してみることが大切かもしれません。

4-6.能動的な学びを得る力が育まれているか否か

 また、主体的に新たなことを学び続ける力が育まれている方は、大変さを感じにくい傾向があります。

 同じ育児に向き合う際にも、「より良い育児ができるように自ら学びに向き合う」と考えるか、「子どもが生まれたから仕方なく学ばざるを得ない」と考えるか、でそのストレスは大きく異なるはずです。

 仕事で上司から理不尽な要求があった際にも、「理不尽な要求を避けたり楽にこなす方法を考える」か、「単に文句を言いながらこなす」か、でそのストレスは大きく異なります。

 言い換えてしまえば、主体的に学び続ける力は、困難を楽しみに変える力とも言えるかもしれません。

5.大変さを主張する"理由"に焦点をあててみる

 ここまで読み進めて頂いた方であれば、既に気付いているかと思われますが、結局のところ、「大変さの感じ方は人によって異なる」ということです。

 つまり、どちらが大変か、ということに焦点をあてたところで、何も解決しないことが分かります。

 誰しも自分が可愛いですし、自分の苦労を一番知っている為、「自分にとっては自分の方が大変そう」だと感じてしまうものです。

 自分の物差しで相手の大変さを測ったところで、それがどれくらい大変なのか(大変と感じているか)は、当事者にしか分からないのです。

 大変さを客観的に測る為に様々な指標を調べてみたものの、異なる人物が同じ事象を同じように大変だと感じるわけではありません。

 つまり、本記事の議題から外れてしまいますが、仕事と育児のどちらが大変かは、「人によって異なる」としか言えないのです。

 そこで、「どちらが大変か」ということではなく、何故「どちらが大変さが決める必要があるのか」という理由の方に焦点をあてて考えてみます。

5-1.自分に対する理解・共有を求めている

 そうすると、ほとんどの方が自分の置かれている環境や立場に対する理解や共感を求めているはずです。

 「仕事で通常よりも多い負荷を背負っていて大変だ」「毎日休みなく家事や育児をこなしていて大変だ」といったことを、誰かに理解してもらい、共感してもらいたいのではないでしょうか。

 それを素直に「大変なんだよね~」と言えれば良いのですが、置かれている環境が異なる共同体(夫婦や家族)の中では「お互い様」であることが多く、なかなか素直に伝えられないものです。

 反対に、似たような境遇に置かれている友人や同僚からは、そういった理解や共感が得られやすく、「うちの夫(妻)は理解してくれない」「友人の方が理解してくれる」と勘違いしてしまうのです。

 実際には、心の底から理解しているというよりも、「共感してあげた方がストレス発散になるだろう」という他人だからこそできる気遣いの方が多いかもしれません。

 家族の中では、仕事や家事、育児を分担している以上、「お互いにやってて当たり前」という状態に陥りやすく、大変さの理解や共感が表に出てきにくいものです。

 まずは、「どちらが大変か」ということよりも「どちらも大変だ」ということに気付き、思いやりを持ち合うことが大切なのだと考えられます。

5-2.役割分担を改めたいと考えている

 また、「自分の方が大変なのにどうして手伝ってくれないのか!」という理由から、どちらが大変かを明らかにしたいと考えることもあるでしょう。

 しかし、前述までに紹介した通り、大変さの感じ方は人それぞれである為、いくら大変さを主張したところで、「自分の方が大変だ(相手にとっては相手の方が大変だ)」という回答しか返ってきません。

 SNS等で客観的な共感をいくら求めたところで、相手が感じている大変さは変わらず、"お互いに"「何故、大変さを分かってくれないのか」と衝突するだけになってしまいます。

 本来は、その先にあるような「協力して仕事も家事も育児もやりたい」ということに焦点をあてて、夫婦で改めて話し合うことが大切なのです。

 「どちらが大変か」ということは一旦忘れて、「いま一度、夫婦の役割分担を見直す」という姿勢で、話し合ってみることが必要ではないでしょうか。

 なお、ここで注意しなければいけないこととして、"平等に"協力して仕事も家事も育児もこなすことは、ほぼ不可能だということです。

 何故なら、「大変さの感じ方が異なる=平等の基準値も異なる」からです。自分にとって大変でないことが、相手にとって大変なことだったり、その逆であることもあるはずです。

 「自分にとってどちらが大変か」という自分のものさしだけで相手を測り続けるのではなく、「相手はどう考えているのか」「相手はどう受け取っているのか」をよく聞き理解することが欠かせないのです。

 どうしても折り合いが付かない場合は、「相手は大変さの許容値が少ない」と考えて諦めるしかないかもしれません。

 しかし、相手の大変さの許容値を否定した時点で、自分の大変さの許容値も同じように否定されることになります。

 何故なら、自分よりももっと過酷な状況(仕事も家事も育児も全て一人)で働きながら、大変だと口にしない方もいるからです。

 人間は誰しもが大変さの許容値が異なっています。許容値が高ければ偉いわけでも、低ければ愚かなわけでもありません。

 お互いに異なる部分を尊重しながら、適材適所で役割分担をしていけることが、最も望ましいのではないでしょうか。

5-3.自身の正当性や自尊心を維持したい

 なお、SNSや友人に対して、「私の方が大変だと思う!」と主張したくなる場合は、自分の考え方を不安に感じている証拠かもしれません。

 自分の考え方に自信がないことから、自分に有利な情報だけを多く与え、相手からの共感を得ることで、自分の正当性を高めているのです。

 こういった目的で話をする場合は、とにかく相手(妻や夫)を落とす、ということが基本的な流れとなってしまいますが、言葉には力があると言われており、あまり良い状態とは言えません。

 相手(妻や夫)を落とし続けることで、自分の正当性(価値)が上がる、と勘違いしてしまい、相手の価値が落ちるような情報ばかりが記憶に残りやすくなります。

 本当にひどい場合は、常に欠点を探して、欠点を見つけたら「よし!また落とせる!」というように楽しんでしまっている方もいるかもしれません。

 ※実際に、Youtubeに夫の負の行動を記録してアップロードしている方がいるほどです。この方の動画では、夫がいい夫になればなるほど、自分が有利になる情報が減ってしまう為、指摘せずにあえて泳がせ、「夫の欠点」として残しておこうとしているようです。

 自分自身に対する劣等感や自身の無さから、他人に対して「夫よりも私の方が(妻よりも僕の方が)大変だ」と主張したい、とも言えるかもしれません。

 人間誰にでもできないことはありますし、100%の人間は存在しません(Youtubeにアップロードしている女性も)。個人の自由である為、あまり深入りすることはできませんが、この記事をご覧になって頂いている方には、できることならば「お互いに高め合える」夫婦関係を築いてほしいものです。

 「うちの夫(妻)は、家事を全然しない」と愚痴ばかりを言うよりも、「うちの夫(妻)は、仕事に専念している」と良い表現に改めた方が、お互いの協力や努力が伝わりやすいものです。

 「自分の正当性」を主張するのではなく、「家族全体の正当性(努力)」を主張すれば、自然と各個人の努力にも目を向けてくれるようになるはずです。

6.大変さを主張するだけでは何も解決しない

 最後は繰り返しになりますが、「どちらが大変か」の答えは、「人によって異なる」ということです。

 「専業主婦で家事や育児だけに専念できてうれしい」という人もいれば、「家事や育児を全て一人でなんて無理だ」という人もいます。

 これは単に能力の差によるものではなく、その人が持つ価値観や理想、人生の目標によって変わるものだと考えられます。

 「どちらが大変か」という大変さの主張を繰り返すのではなく、お互いにどういったことを大変だと感じているのか、大変さの奥にある個性や価値観を理解しあうことが大切です。

 ネガティブな言葉(大変だ、つらい、しんどい)は、ネガティブな環境(喧嘩、怒り)を生み出します。

 同様にねぎらう言葉(お疲れ様、大変だね)は、ねぎらう環境(交互の休憩、手伝い)を生み出すはずです。

 まずは自分の方からとことん思いやりを持って接してみてはいかがでしょうか。